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江戸時代末期、11代目当主の代になると盛田では千石船によって、『山泉/ヤマイヅミ』という銘柄の豆味噌を東西へと運び、その販売量を拡大していきました。
また一方で、第2次世界大戦後の1954年(昭和29年)には、もともとは料亭の料理人自らが味噌をすり、豆味噌と米味噌を合わせていた『赤だし用みそ』を、『赤だしみそ』として日本で初めて商品化しました。これによって料亭などでのみ供されていた『赤だし』が、一般に広まり、愛知・三重・岐阜はもちろんのこと、それ以外の地域でも食されるようになっていきました。
1992年(平成4年)には、豆味噌やたまりをはじめとする盛田の食品ブランドの名は『山泉/ヤマイヅミ』から『盛田』へと変ったものの、江戸時代から伝わる木桶に味噌玉を入れ、その上に重石をしてじっくり熟成させるという、伝統的な豆味噌の製法を今もなお受け継ぎ、伝統の味わいを守り続けています。
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