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盛田における酒造りの歴史は、1665年(寛文5年)にまでさかのぼり、初代・盛田久左ェ門が自然の恵み豊かな愛知県知多半島の小鈴谷村にて酒造業を起こしたことに始まります。この知多半島エリアは、清酒製造に適した気候や自然条件が揃い、あるいは四方を海に囲まれているということから水運の便が非常に良く、古来よりから灘や伏見と並んで銘醸地の一つに数えられてきました。また、尾張徳川藩の統治下にあって、年貢米の換金手段として酒蔵業が保護育成されたことも、酒造りがこの地域で盛んになった理由の一つとされています。
盛田では清酒事業に続き、1708年(宝永5年)には味噌とたまりの醸造を、その後1868年(明治元年)には醤油の醸造も開始し、まさに知多の食文化とともにその歴史を歩むことになります。11代当主(のちの命祺(めいき))は、日頃から酒質向上に努め、1844年(天保15年)に自信の銘柄として『子乃日松』と名付けた酒を世に送り出します。やがて千石積みの帆船によって、江戸へは清酒と味噌、醤油を、関西へは主にたまりを運んで売上を伸ばし、近年における盛田の基礎を構築していきました。
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