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島根県西部・益田市に位置する岡田屋本店の創業家・大谷家の歴史には、江戸末期に徳川幕府と長州藩との間で繰り広げられた、第二次長州討伐に重要な転機がありました。初代の大谷嘉十郎は、石州口の戦いで功を上げて長州側の勝利に貢献し、長州藩・大村益次郎により認められたことをきっかけとして、地元の人々の信頼を集めるようになります。その後、財を成して醤油と酒造りを開始し、1872年(明治5年)には醤油、1877年(明治10年)には日本酒の醸造元として、『岡田屋』という屋号のもと正式に創業することとなりました。当時のブランドは『弥栄正宗』と呼ばれ、商売は順調に成功を収めていきました。しかしながら、初代・嘉十郎は自らの成功の裏腹で、酒のもたらす『悪』に憂いを抱き、また、もともと信仰心が強いこともあって、かの画僧・雪舟が住職を務めたと伝えられる医光寺裏の龍蔵山の頂に慈善院を建立して生活の場をそこに移し、病に苦しみお参りに来た人々に薬などを分け与えます。
その息子である二代目・嘉十郎は父とは違い、非常に商売の才能に長けた人物で、事業も拡大し、また、教育に熱心であったことから様々な寄付を地元に行います。さらに、帝国大学(現在の東京大学)に在学中には、当時、酒を腐らすとされた『火落ち菌』の存在を発見したことで、それ以後の日本酒業界の発展に多大な貢献を果たすこととなりました。
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